ガラスストーリー

Story3

それでもあった問題

研究が進むと、ガラスには風化はあまりしないものの、衝撃による割れと、熱による割れが起きることが分かりました。

今の技術そのままでは、割れにくいガラス(耐熱ガラスや強化ガラス)は作れても美しくて割れにくいガラスは作れない。そこで様々なガラスメーカーを探す旅が始まろうとしていました。

そんな時、日ごろから仕事上の付き合いのある川崎市経済労働局の職員にどこか良いガラスのメーカーを知らないか?と尋ねたところ「何言ってんの、川崎市はガラスを市の地域資源に認定していて、すべてのジャンルのガラスを網羅できるメーカーが川崎市内にあるんだよ」と知らされました。

北は北海道の北一硝子から南は沖縄の琉球ガラスまでガラスは各地域にあるものの、地域資源にまで認定している市は少なく、それが偶然弊社のある川崎市だったのです。川崎市にガラスがあるから作ろうとしたのではなく、ガラスでお墓を作ろうと考えた先に、身近に多くのガラスメーカーがあったわけです。このおかげで、市役所が味方に付いてくれました。

また市の財団も地域のガラス振興になればと手助けしていただけるようになりました。そこでガラスメーカー5社と弊社、そしてアドバイザーとして川崎市産業振興財団のコーディネーター(某日本最大手ガラスメーカーのOB)や川崎市の職員も会議に参加してくれて、【かわさきガラスのお墓】の開発がスタートするのです。

まずはこのメンバーで立ち上げた「メモリアルガラス研究会」によるアイディア出し、石材店ならではのアイディア聞き取り、そしてメンバーの研修も兼ねた大手メーカーの手元供養の研究等、多くの勉強会を重ね、開発を進めていきました。